安部公房語録(NHKアーカイブス「あの人に会いたい」) ― 2006年05月07日 20:13
●安部公房語録
※NHK映像ファイル #088
「ぼくにとっての関心というのは、今を見る、ということ。
しかし、それはぼくにとっての“メビウスの輪”ですよ。
それを“箱”とか“壁”とか“砂”というものに投影する、
——いい“投影体”を探すことですよね」
「ぼくは実は“テーマ”を考えながら書くんじゃないんですよ。
みんなそう思うらしくてね、テーマはテーマは、と言うんだけれども、
テーマというのは後でね、作中人物とぼくがね、共同で考え出すんだよ、
テーマって。だから作中人物がテーマを思いつくまでね、
ぼくは待たなきゃいけないわけね」
「視点を変えるとね、わかりきったものが迷路に変わるだけですよ。
例えばぼく昔なんかに書いたことあるんだけどね、“犬”ね、
犬ってのはほら、目線が低いでしょ。においが利くでしょ。
だから、においでもって、においの濃淡で記憶やなにか
全部形成しているわけでしょ。だから犬の感覚で地図を仮につくったら、
これはすごく変な地図になるでしょ。
体験レベルでもってちょっと視点を変えればね、
我々がどこに置かれているかという認識がぱっと変わっちゃいますよね。
その認識を変えることでね、もっと深く状況をさ、見る、ということ。
だからぼくはね、結局文学作品というのは、ひとつの“もの”、
“生きているもの”というか、極端に言えば“世界”ですね。
小さいなりに生きている世界というものをつくって、それを提供すると、
そういう作業だと思ってますけどね。
だから、お説教やさ、論ずるってことはね、小説においてあんまり
必要ないと思いますね。いわゆる人生の教訓を書くなんてことはね、
論文やエッセイに任せればいいことで。
小説っていうのは、それ以前の、意味にまだ到達しない、
ある実態を提供すると、で、そこで読者はそれを体験すると、
いうもんじゃないかと思うんだな」
「迷路でいいんです。迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです。
それでいいんです。
終局的に意味に到達するっていうのは間違いですね。これは日本の、
やっぱり国語教育の欠陥だと思う。
ぼくのものもなぜか教科書に出てるんですよ。こう見ていったら、
『大意を述べよ』と書いてある。あれ、ぼくだって答えられませんね。
そんな一言でね大意が述べられるくらいなら書かないですよ。
あの、それこそ最初からぼくは大意を書いちゃいます。
『人生というものは、赤い色をしていて、中にちょっと緑が入っている』。
例えばそれが大意だとしますね、ならそういうふうに書いちゃいますよ、
最初から。
よくね、まああるよ、ほら、あの温泉なんかの地図、案内図っていうのさ、
こう山書いてさ、道路書いてさ、こうロバがいて、花が咲いて……あるじゃない、
ああいうもんだよね。もともとの小説がそういうもんならね、そりゃいいでしょ、
あの、解説で。だけどね、あの、実際の例えば地図というものはね、
そんな簡単にちょっと見てもわかりませんけどね、見れば見るほど際限なく
読み尽くせるでしょ。いちばんいいのは、航空写真とかそういうものでしょうね。
無限の情報が含まれている。
その無限の情報が含まれていないと、ぼくは作品と言えないと思いますよ。
無限の情報ですよ、人間なんて。考えてみたら。
そういうふうに人間を見るということね。見なきゃいけないし、見えるんだよ、
ということを、作者は書かなきゃいけない。読者に伝えなきゃいけない」
「ぼくらは子どもの時からね、五族協和という教育を受けているんですよ。
満州では。で、その五族っていうのはよくわかりませんが、日本人、朝鮮人、
中国人、ロシア人、蒙古人でしょうかね、そういうのが平等であるっていうことを
建前として教えられるわけですよ。子どもだから信じるわけ。
で、クラスの中にやっぱりその、異民族もいましたしね。
ところが、汽車なんか乗るでしょ、そうするとね、あの、日本人の大人がね、
中国人が座っていると、そこを蹴っ飛ばして席どかして座るでしょ。
そういうのを見てやっぱり頭きてたよね、五族協和に反すると思ってさ。
だから結局ね、子どもの時に、えらく素直に五族協和ってのを信じたっていう
ことがね、いろんな疑惑を逆に生むという結果にはなったと思いますよ。
それからやっぱり、なんでこんなに生活の差があるのか。あるべき姿でないと、
これは。
ぼくも家って言ったらどっかっていえば、満州だったんですよ。自分の家は。
それがなくなるわけでしょ。だから敗戦ていうのは観念じゃなくて、
そんな愛国心が裏切られたとかじゃなくて、事実もう、場所を全部失ったという
ことは、ね、頭じゃなくて体で感じちゃっていた、と思いますね。
でもそれが、そんなにつらくなかったね。人間てしょせん、いつでも何かを
失っていくほうが幸せだと思ってた。満州で育ったっていうことはね、
非常に都市的な生活をしてきた、ということなんです。もう子どもの時から。
そして周囲に農村がないってことですよ。農村は全部中国人ですから。
だからね、満州で育った人間の一つの特徴っていうのは、非常に都市的な人間に
生まれたときからつくられてしまった、ということがあるんじゃない。
だから農村と都市の問題については、非常に敏感にぼくの問題になった、
ってことは言えるでしょう。
(その後も)そうですね、いろんな発想の一つのバネにはなったと思うね。
他者、っていうのは何か、ということですね。そして他者との通路を回復しない
限り、やっぱり人間の関係ってものは本当のものはできないんだと。
ということで、だからぼくの小説のある意味で一貫したテーマは、やっぱり
人間の関係とは何か、他者とは何か、っていう。で、他者との通路の回復は
ありうるのか、という、こういうところが、まあ一貫したテーマの一つには
なっていると思うね」
——作品は無限の情報——
作家 安部公房 1924-1993
※NHK映像ファイル #088
「ぼくにとっての関心というのは、今を見る、ということ。
しかし、それはぼくにとっての“メビウスの輪”ですよ。
それを“箱”とか“壁”とか“砂”というものに投影する、
——いい“投影体”を探すことですよね」
「ぼくは実は“テーマ”を考えながら書くんじゃないんですよ。
みんなそう思うらしくてね、テーマはテーマは、と言うんだけれども、
テーマというのは後でね、作中人物とぼくがね、共同で考え出すんだよ、
テーマって。だから作中人物がテーマを思いつくまでね、
ぼくは待たなきゃいけないわけね」
「視点を変えるとね、わかりきったものが迷路に変わるだけですよ。
例えばぼく昔なんかに書いたことあるんだけどね、“犬”ね、
犬ってのはほら、目線が低いでしょ。においが利くでしょ。
だから、においでもって、においの濃淡で記憶やなにか
全部形成しているわけでしょ。だから犬の感覚で地図を仮につくったら、
これはすごく変な地図になるでしょ。
体験レベルでもってちょっと視点を変えればね、
我々がどこに置かれているかという認識がぱっと変わっちゃいますよね。
その認識を変えることでね、もっと深く状況をさ、見る、ということ。
だからぼくはね、結局文学作品というのは、ひとつの“もの”、
“生きているもの”というか、極端に言えば“世界”ですね。
小さいなりに生きている世界というものをつくって、それを提供すると、
そういう作業だと思ってますけどね。
だから、お説教やさ、論ずるってことはね、小説においてあんまり
必要ないと思いますね。いわゆる人生の教訓を書くなんてことはね、
論文やエッセイに任せればいいことで。
小説っていうのは、それ以前の、意味にまだ到達しない、
ある実態を提供すると、で、そこで読者はそれを体験すると、
いうもんじゃないかと思うんだな」
「迷路でいいんです。迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです。
それでいいんです。
終局的に意味に到達するっていうのは間違いですね。これは日本の、
やっぱり国語教育の欠陥だと思う。
ぼくのものもなぜか教科書に出てるんですよ。こう見ていったら、
『大意を述べよ』と書いてある。あれ、ぼくだって答えられませんね。
そんな一言でね大意が述べられるくらいなら書かないですよ。
あの、それこそ最初からぼくは大意を書いちゃいます。
『人生というものは、赤い色をしていて、中にちょっと緑が入っている』。
例えばそれが大意だとしますね、ならそういうふうに書いちゃいますよ、
最初から。
よくね、まああるよ、ほら、あの温泉なんかの地図、案内図っていうのさ、
こう山書いてさ、道路書いてさ、こうロバがいて、花が咲いて……あるじゃない、
ああいうもんだよね。もともとの小説がそういうもんならね、そりゃいいでしょ、
あの、解説で。だけどね、あの、実際の例えば地図というものはね、
そんな簡単にちょっと見てもわかりませんけどね、見れば見るほど際限なく
読み尽くせるでしょ。いちばんいいのは、航空写真とかそういうものでしょうね。
無限の情報が含まれている。
その無限の情報が含まれていないと、ぼくは作品と言えないと思いますよ。
無限の情報ですよ、人間なんて。考えてみたら。
そういうふうに人間を見るということね。見なきゃいけないし、見えるんだよ、
ということを、作者は書かなきゃいけない。読者に伝えなきゃいけない」
「ぼくらは子どもの時からね、五族協和という教育を受けているんですよ。
満州では。で、その五族っていうのはよくわかりませんが、日本人、朝鮮人、
中国人、ロシア人、蒙古人でしょうかね、そういうのが平等であるっていうことを
建前として教えられるわけですよ。子どもだから信じるわけ。
で、クラスの中にやっぱりその、異民族もいましたしね。
ところが、汽車なんか乗るでしょ、そうするとね、あの、日本人の大人がね、
中国人が座っていると、そこを蹴っ飛ばして席どかして座るでしょ。
そういうのを見てやっぱり頭きてたよね、五族協和に反すると思ってさ。
だから結局ね、子どもの時に、えらく素直に五族協和ってのを信じたっていう
ことがね、いろんな疑惑を逆に生むという結果にはなったと思いますよ。
それからやっぱり、なんでこんなに生活の差があるのか。あるべき姿でないと、
これは。
ぼくも家って言ったらどっかっていえば、満州だったんですよ。自分の家は。
それがなくなるわけでしょ。だから敗戦ていうのは観念じゃなくて、
そんな愛国心が裏切られたとかじゃなくて、事実もう、場所を全部失ったという
ことは、ね、頭じゃなくて体で感じちゃっていた、と思いますね。
でもそれが、そんなにつらくなかったね。人間てしょせん、いつでも何かを
失っていくほうが幸せだと思ってた。満州で育ったっていうことはね、
非常に都市的な生活をしてきた、ということなんです。もう子どもの時から。
そして周囲に農村がないってことですよ。農村は全部中国人ですから。
だからね、満州で育った人間の一つの特徴っていうのは、非常に都市的な人間に
生まれたときからつくられてしまった、ということがあるんじゃない。
だから農村と都市の問題については、非常に敏感にぼくの問題になった、
ってことは言えるでしょう。
(その後も)そうですね、いろんな発想の一つのバネにはなったと思うね。
他者、っていうのは何か、ということですね。そして他者との通路を回復しない
限り、やっぱり人間の関係ってものは本当のものはできないんだと。
ということで、だからぼくの小説のある意味で一貫したテーマは、やっぱり
人間の関係とは何か、他者とは何か、っていう。で、他者との通路の回復は
ありうるのか、という、こういうところが、まあ一貫したテーマの一つには
なっていると思うね」
——作品は無限の情報——
作家 安部公房 1924-1993
地球上の生命の8割は昆虫。 ― 2006年05月11日 01:48
私たちは昆虫の星に住む人間である。
圧倒的多数多種多様な昆虫たちにとって、
人間はどのような存在として映っているのか?
おそらく「無視」。
※この一言、オマケね。
圧倒的多数多種多様な昆虫たちにとって、
人間はどのような存在として映っているのか?
おそらく「無視」。
※この一言、オマケね。
一日のはじまり ― 2006年05月12日 08:00
かつてこの地上に、五十時間ほど眠る動物たちがいた。平均睡眠時間のことである。起きて活動している時間はおよそ十六時間。ここでいう「時間」は人間界における単位であって、彼らにその概念はない。しかし、概念云々は別として、地球はやはり二十四時間で自転し、三六五日をかけて太陽の周りを巡っている。彼らが好き勝手に生きている動物であれば、そんな現実も問題にはならないだろう。が、彼らはすでに進化し、独自の暦をつくり、組織化された社会を生きていたのである。
彼らの一日は、たとえばこんな感じだ。わかりやすいように人間時間で説明しよう。
まず、朝七時に起床する。八時に家を出て、朝九時から仕事をし、帰ってくるのは夜の八時頃。家では晩ご飯を食べ、風呂に入り、テレビを観たりパソコンで遊んだりして過ごす。その日の就寝は午前一時だ。翌日は午前三時に目覚める。外はまさに真っ暗な丑三つ時だ。そして一日を過ごし、夜七時に眠る。また翌日は夜九時に目覚ましのベルが鳴る。その日の就寝は午後一時。つい忘れがちになるが、彼らが眠っている間に、太陽は二度昇り、二度沈んでいる。
そんな暮らしのなかで、寝ているときにふと目覚めてしまった者がいた。………
2006.5.12
彼らの一日は、たとえばこんな感じだ。わかりやすいように人間時間で説明しよう。
まず、朝七時に起床する。八時に家を出て、朝九時から仕事をし、帰ってくるのは夜の八時頃。家では晩ご飯を食べ、風呂に入り、テレビを観たりパソコンで遊んだりして過ごす。その日の就寝は午前一時だ。翌日は午前三時に目覚める。外はまさに真っ暗な丑三つ時だ。そして一日を過ごし、夜七時に眠る。また翌日は夜九時に目覚ましのベルが鳴る。その日の就寝は午後一時。つい忘れがちになるが、彼らが眠っている間に、太陽は二度昇り、二度沈んでいる。
そんな暮らしのなかで、寝ているときにふと目覚めてしまった者がいた。………
2006.5.12
五秒後の世界 ― 2006年05月13日 16:55
川上から流れてきた大きな桃を、おばあさんは洗濯に夢中で見逃してしまった。
年月は流れ、世の中は異次元のように変わってしまったが、やはり犬が日本語を操ることにはならなかったし、雉が団子をくわえて飛ぶ姿も目撃されてはいない。
その些細な見過ごしが変えたことと言えば、紅白歌合戦が紅青歌合戦になり、帽子のてっぺんには一つもしくは二つの穴が開くようになった、という類のこと——ただそれだけのことである。
2006.5.13
年月は流れ、世の中は異次元のように変わってしまったが、やはり犬が日本語を操ることにはならなかったし、雉が団子をくわえて飛ぶ姿も目撃されてはいない。
その些細な見過ごしが変えたことと言えば、紅白歌合戦が紅青歌合戦になり、帽子のてっぺんには一つもしくは二つの穴が開くようになった、という類のこと——ただそれだけのことである。
2006.5.13
六月の背中 ― 2006年05月13日 22:25
「ヒロキくん、おかあさん迎えに来はったよ」
園門の隙間から、ちっちゃな笑顔が転び出た。
「せんせい、さようなら」
ちょこんとお辞儀をして、自転車の補助イスによじ登る。
「よし、帰ろう」
私は先生に会釈し、ゆっくりと自転車をこぎはじめた。
よく晴れた六月の午後。いつもと変わらぬお迎えの光景。手をつないだ親子の影が、アスファルトの上で交じり合う。
「ヒロキぃ、鼓笛の練習、うまいことできたか」
背中越しに話しかける。少し大きめの声で。
「ぼくすごいで。できたんぼくだけやったからみんなのまえでたたいてんすごいやろ」
夏に向かう頃から、秋の運動会に備えた鼓笛隊の練習がはじまる。年長クラスにとって、鼓笛隊は三年間の幼稚園生活を締めくくる一大イベントだ。息子は小太鼓を担当していた。
「ひとりでたたいてんで」
得意気に繰り返す。へぇすごいねぇ、と合わせておく。自転車は公園の角を左に曲がり、緩やかな上り坂を行く。
「あー、でもきょう、めっちゃショックなことあってん」
その口調から、背中の向こうにある情けない顔が見えた。子どもは毎日、いくつものショックを乗り越えて生きている。
「ほお、なにあったん」
お約束のように尋ねる。
「ユリカちゃんとタクヤがチューしててん」
思わずペダルを踏み外しそうになる。ユリカちゃんは同じひまわり組の女の子で、息子のお気に入りだ。タクヤは息子の親友で、息子いわく“あいぼう”である。大の親友と大好きなコのキスシーンを目撃してしまったのだから、心中穏やかではあるまい。
「ほんまぁ、それはショックやなあ」
かける言葉が見つからない。慰めるべきか。ごまかすべきか。自転車は下水処理場の敷地内を真っ直ぐに貫く桜並木にさしかかっていた。
「でもヒロキ、リカちゃんがいるやん。リカちゃん、ヒロキのこと好きなんやろ。リカちゃんも可愛いで」
ごまかしてみた。幼稚園児の恋心なんて、目移りするおもちゃみたいなものだろう。
「うーん、リカちゃんかあ。まあリカちゃんもかわいいねんけどなあ」
よし、乗ってきた。この調子でもう少し目移りさせてやろう。男は前向きに。
「ミユキちゃんも仲ええやん。アスカちゃんもええんちゃう。ヒロキ、もてもてやな。だれにしよっか」
息子は明るく答えた。
「やっぱりユリカちゃん」
少し泣きたくなるような甘い痛みを、その小さな胸は宿して。それを失恋と名づける日が、やがてキミにも訪れるのだろう。そして何度も繰り返すだろう。その名前を知ってからも。
彼はきっと、だれよりも格好をつけて太鼓を叩いていたに違いない。想像すると、愛しさがこみ上げてきた。
「よーしヒロキ、スピード出すでー」
ペダルをぐっと踏み込み、真っ直ぐな道を走る。背中に触れるおでこのぬくもりが、初夏の日差しに溶けていった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/大賞)
園門の隙間から、ちっちゃな笑顔が転び出た。
「せんせい、さようなら」
ちょこんとお辞儀をして、自転車の補助イスによじ登る。
「よし、帰ろう」
私は先生に会釈し、ゆっくりと自転車をこぎはじめた。
よく晴れた六月の午後。いつもと変わらぬお迎えの光景。手をつないだ親子の影が、アスファルトの上で交じり合う。
「ヒロキぃ、鼓笛の練習、うまいことできたか」
背中越しに話しかける。少し大きめの声で。
「ぼくすごいで。できたんぼくだけやったからみんなのまえでたたいてんすごいやろ」
夏に向かう頃から、秋の運動会に備えた鼓笛隊の練習がはじまる。年長クラスにとって、鼓笛隊は三年間の幼稚園生活を締めくくる一大イベントだ。息子は小太鼓を担当していた。
「ひとりでたたいてんで」
得意気に繰り返す。へぇすごいねぇ、と合わせておく。自転車は公園の角を左に曲がり、緩やかな上り坂を行く。
「あー、でもきょう、めっちゃショックなことあってん」
その口調から、背中の向こうにある情けない顔が見えた。子どもは毎日、いくつものショックを乗り越えて生きている。
「ほお、なにあったん」
お約束のように尋ねる。
「ユリカちゃんとタクヤがチューしててん」
思わずペダルを踏み外しそうになる。ユリカちゃんは同じひまわり組の女の子で、息子のお気に入りだ。タクヤは息子の親友で、息子いわく“あいぼう”である。大の親友と大好きなコのキスシーンを目撃してしまったのだから、心中穏やかではあるまい。
「ほんまぁ、それはショックやなあ」
かける言葉が見つからない。慰めるべきか。ごまかすべきか。自転車は下水処理場の敷地内を真っ直ぐに貫く桜並木にさしかかっていた。
「でもヒロキ、リカちゃんがいるやん。リカちゃん、ヒロキのこと好きなんやろ。リカちゃんも可愛いで」
ごまかしてみた。幼稚園児の恋心なんて、目移りするおもちゃみたいなものだろう。
「うーん、リカちゃんかあ。まあリカちゃんもかわいいねんけどなあ」
よし、乗ってきた。この調子でもう少し目移りさせてやろう。男は前向きに。
「ミユキちゃんも仲ええやん。アスカちゃんもええんちゃう。ヒロキ、もてもてやな。だれにしよっか」
息子は明るく答えた。
「やっぱりユリカちゃん」
少し泣きたくなるような甘い痛みを、その小さな胸は宿して。それを失恋と名づける日が、やがてキミにも訪れるのだろう。そして何度も繰り返すだろう。その名前を知ってからも。
彼はきっと、だれよりも格好をつけて太鼓を叩いていたに違いない。想像すると、愛しさがこみ上げてきた。
「よーしヒロキ、スピード出すでー」
ペダルをぐっと踏み込み、真っ直ぐな道を走る。背中に触れるおでこのぬくもりが、初夏の日差しに溶けていった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/大賞)
夜々 ― 2006年05月18日 23:47
眠れぬ男が眠り続ける男に話しかけた。
「おれに半分、その眠りをくれないか」
しかし、眠り続ける男は答えなかった。
「代わりになにをやる?」
傍らに舞い降りてきた何者かが尋ねる。
「眠らずに過ごせるすべての時間を」
何者かはうっすらと微笑み、飛び立った。
だが、横たわった男の瞼は開かなかった。
やがて、眠れぬ男はそれ故に夭折した。
彼が永遠の眠りについたとき、眠り続けていた男が目覚めた。
そして彼は残りの人生を、眠らずに過ごしたという。
眠れない夜と眠らない夜は、今日もどこかで、
こっそりと入れ替わっていることだろう。
2006.5.18
「おれに半分、その眠りをくれないか」
しかし、眠り続ける男は答えなかった。
「代わりになにをやる?」
傍らに舞い降りてきた何者かが尋ねる。
「眠らずに過ごせるすべての時間を」
何者かはうっすらと微笑み、飛び立った。
だが、横たわった男の瞼は開かなかった。
やがて、眠れぬ男はそれ故に夭折した。
彼が永遠の眠りについたとき、眠り続けていた男が目覚めた。
そして彼は残りの人生を、眠らずに過ごしたという。
眠れない夜と眠らない夜は、今日もどこかで、
こっそりと入れ替わっていることだろう。
2006.5.18
Nevaeh(ニュースコピペ) ― 2006年05月20日 12:05
Heavenの逆つづりが人気の名に 米の女の赤ちゃん
2006年05月19日22時23分
女の子の名前のランキングを駆け上がっている名前が米国にある。ネバヤ。Heaven(天国)を逆さにつづったものだ。ニューヨーク・タイムズ紙などが報じた。
米社会保障庁によると、新生児の名前でネバヤは01年に266位となり、上位1000のリストに初登場した。以後、191位、145位、104位と順位を上げ、05年に70位とトップ100に入った。
同紙によると、人気のきっかけは、00年にロックスターがテレビに娘と登場し「天国を逆さにつづった」と名前を紹介したことだった。宗教的な意味合いにひねりをきかせたことや、流行の「ア」の母音で終わることが受けたらしい。黒人とキリスト教福音主義の間で特に人気が高いという。デンバー・ポスト紙によると、コロラド州では4年連続、黒人の間で最も人気の名前になっている。
社会保障庁によると、Heavenも女の子の名前のランクで91年の773位から順位を上げている。05年は245位だった。
2006年05月19日22時23分
女の子の名前のランキングを駆け上がっている名前が米国にある。ネバヤ。Heaven(天国)を逆さにつづったものだ。ニューヨーク・タイムズ紙などが報じた。
米社会保障庁によると、新生児の名前でネバヤは01年に266位となり、上位1000のリストに初登場した。以後、191位、145位、104位と順位を上げ、05年に70位とトップ100に入った。
同紙によると、人気のきっかけは、00年にロックスターがテレビに娘と登場し「天国を逆さにつづった」と名前を紹介したことだった。宗教的な意味合いにひねりをきかせたことや、流行の「ア」の母音で終わることが受けたらしい。黒人とキリスト教福音主義の間で特に人気が高いという。デンバー・ポスト紙によると、コロラド州では4年連続、黒人の間で最も人気の名前になっている。
社会保障庁によると、Heavenも女の子の名前のランクで91年の773位から順位を上げている。05年は245位だった。
神の指先 ― 2006年05月27日 15:10
夜の底の、かつ隅っこあたりにあるバーで、隣り合わせた男が打ち明けた。
「実は私、悪いヤツを消せちゃうんです」
なにか嬉しいことでもあったのだろう。その男はにこやかに話し続ける。
「生きていても迷惑でしかないってヤツ、いるじゃないですか。他人の痛みや苦しみをまったく考えず、自分の快楽のためならなんでもする。窃盗や暴行を繰り返しながら生きてるような。そんなヤツ、いらないでしょう?」
まあ、確かに。しかし、だれしも少なからず自分勝手だし、知らぬ間に人の心を深く傷つけている、なんてこともよくあるだろう。程度の差こそあれ、みんなそこそこ悪いヤツなのではないか。
「そう、その程度が問題なんです」
男は微笑みを崩さず、弟子を諭す老僧のごとき口調で答えた。
「もちろん人は善悪を併せ持っていますが、人によってその質量には大きな差があります。生まれながらにして、もしくは生きてきた環境に培われて、悪の質量が度を超えて大きな人間というのがいるんです。凶悪事件を起こして表に浮き上がってくるのはその一部分。同じような悪の質量を持ちながら野放しになっているヤツがうようよしてるんです。いずれも私たち一般市民の持つ悪なんてのとは比べものにならないくらい並はずれて大きな悪の質量を持っています」
そして、
「世の中には表沙汰になっていない殺人事件がごまんとあるんですよ」
と付け加えた。
なるほど、かなり悪いヤツがターゲットなわけだ。で、それはどうすれば見分けられるのか?
「主観、ですね」
主観? なにか特殊な能力で見分けるのではなく?
「ええ。こいつはどうしようもなく悪いヤツだな、と思ったら、パッと消しちゃいます」
と言って男は指をパチンと鳴らした。
いままでどんなヤツを?
「たとえば、そうですね、わかりやすいのは暴走族とか。見かけたらバイクごと消しますね。あとは、不良をアピールしているような集団。ちょっと眺めてたらすぐに喧嘩を売ってくるんですよ。集団というのは恐いですね。そうそう、先日はひったくりの現場に遭遇して、中年の男を消しました。ひったくられたバッグも一緒に消えちゃったんですけどね」
男はふふふと笑い、グラスを口にした。
しかし、いきなり人間が消えたら周りの人は驚くだろう。大騒ぎになると思うのだが。
「私にもよくわからないのですが、もしかしたら“存在”そのものが消えてしまうのかもしれません。過去を遡って。先日のひったくり事件のときも、被害者のおばあさんは当然パニック状態になっていたのですが、犯人が消えた途端、何事もなかったかのようにまた歩きはじめました」
存在そのものが消える。それはこの世に生まれてこなかった、ということか。ならば、消した人間に子どもがいたとしたら、その子どもも消えてしまうわけだ。
「かもしれませんね」
手に持ったグラスを見つめながら男は答えた。
「あまり深くは考えないようにしているんです。なぜこんな力を私が授かったのか、ということも。ただ、これは神様から与えられた使命じゃないことは確かですね。だって、身近に接した相手しか消せないんですから。世の中で起きている悲惨な事件、その犯人をこの場で消してしまうことはできないんです。それに、」
男は私に顔を向け、穏やかに微笑みながら言った。
「いくらでも悪用できちゃいますしね。嫌いなヤツを消しちゃうとか」
善であること。正義であること。それはこの男が背負う苦悩なのだろう。私は尋ねた。
消されることは、救いにもなるのではないか?
「さあ、どうでしょう。存在を奪うことと死を与えること、そこに違いはあるのか。それを救いだと考えるのは危険な宗教と同じかもしれません。ある意味、私がしていることは人殺しなわけですし」
人殺しとこうして酒を飲むのは初めてだ。そう言うと、男は嬉しそうに笑った。
2006.5.27
「実は私、悪いヤツを消せちゃうんです」
なにか嬉しいことでもあったのだろう。その男はにこやかに話し続ける。
「生きていても迷惑でしかないってヤツ、いるじゃないですか。他人の痛みや苦しみをまったく考えず、自分の快楽のためならなんでもする。窃盗や暴行を繰り返しながら生きてるような。そんなヤツ、いらないでしょう?」
まあ、確かに。しかし、だれしも少なからず自分勝手だし、知らぬ間に人の心を深く傷つけている、なんてこともよくあるだろう。程度の差こそあれ、みんなそこそこ悪いヤツなのではないか。
「そう、その程度が問題なんです」
男は微笑みを崩さず、弟子を諭す老僧のごとき口調で答えた。
「もちろん人は善悪を併せ持っていますが、人によってその質量には大きな差があります。生まれながらにして、もしくは生きてきた環境に培われて、悪の質量が度を超えて大きな人間というのがいるんです。凶悪事件を起こして表に浮き上がってくるのはその一部分。同じような悪の質量を持ちながら野放しになっているヤツがうようよしてるんです。いずれも私たち一般市民の持つ悪なんてのとは比べものにならないくらい並はずれて大きな悪の質量を持っています」
そして、
「世の中には表沙汰になっていない殺人事件がごまんとあるんですよ」
と付け加えた。
なるほど、かなり悪いヤツがターゲットなわけだ。で、それはどうすれば見分けられるのか?
「主観、ですね」
主観? なにか特殊な能力で見分けるのではなく?
「ええ。こいつはどうしようもなく悪いヤツだな、と思ったら、パッと消しちゃいます」
と言って男は指をパチンと鳴らした。
いままでどんなヤツを?
「たとえば、そうですね、わかりやすいのは暴走族とか。見かけたらバイクごと消しますね。あとは、不良をアピールしているような集団。ちょっと眺めてたらすぐに喧嘩を売ってくるんですよ。集団というのは恐いですね。そうそう、先日はひったくりの現場に遭遇して、中年の男を消しました。ひったくられたバッグも一緒に消えちゃったんですけどね」
男はふふふと笑い、グラスを口にした。
しかし、いきなり人間が消えたら周りの人は驚くだろう。大騒ぎになると思うのだが。
「私にもよくわからないのですが、もしかしたら“存在”そのものが消えてしまうのかもしれません。過去を遡って。先日のひったくり事件のときも、被害者のおばあさんは当然パニック状態になっていたのですが、犯人が消えた途端、何事もなかったかのようにまた歩きはじめました」
存在そのものが消える。それはこの世に生まれてこなかった、ということか。ならば、消した人間に子どもがいたとしたら、その子どもも消えてしまうわけだ。
「かもしれませんね」
手に持ったグラスを見つめながら男は答えた。
「あまり深くは考えないようにしているんです。なぜこんな力を私が授かったのか、ということも。ただ、これは神様から与えられた使命じゃないことは確かですね。だって、身近に接した相手しか消せないんですから。世の中で起きている悲惨な事件、その犯人をこの場で消してしまうことはできないんです。それに、」
男は私に顔を向け、穏やかに微笑みながら言った。
「いくらでも悪用できちゃいますしね。嫌いなヤツを消しちゃうとか」
善であること。正義であること。それはこの男が背負う苦悩なのだろう。私は尋ねた。
消されることは、救いにもなるのではないか?
「さあ、どうでしょう。存在を奪うことと死を与えること、そこに違いはあるのか。それを救いだと考えるのは危険な宗教と同じかもしれません。ある意味、私がしていることは人殺しなわけですし」
人殺しとこうして酒を飲むのは初めてだ。そう言うと、男は嬉しそうに笑った。
2006.5.27
宝くじ ― 2006年05月31日 01:52
宝くじを買う。もちろん当たりくじだ。言うまでもなく連番で十枚。結果、三億円だ。
とりあえずはマンションのローンを返して、いまより部屋数の多い家に引っ越す。会社も辞めちゃえ。有り余る時間、意外と本気で小説でも書き、そのうち世に出ようか。派手な暮らしに興味はないし、家族四人、まあそこそこ幸せに暮らしていけるだろう。
なんて、人並みな夢想に浸っていたとき、アイスキャンデーの棒に「アタリ」の文字が。
——ああ、こんなところで運を使っちゃったよ。
ようするに、世界は二つ。アタリか。ハズレか。ちっちゃなアタリも当たりはあたり。運なんてそんなものだろう。
そして先日、宝くじを買った。当たりくじを選んで。とりあえずはマンションのローンを返して、と。
その夜、妻の枕元に置いてある電気スタンドの灯りが点かなくなった。
「接触悪いんかなあ」
妻が電球をぐりぐりといじる。その時、
——ボン!
爆発音が寝室にこだました。子どもがうーんと唸って丸くなる。
「大丈夫か!?」
驚いて妻に問いかける。
が、なにも起きていない。ただ電球の内側が真っ黒に煤けているだけだ。電球は破裂を免れた。
「ああ、びっくりしたあ」
妻と僕が声をそろえる。子どもたちはすやすやと眠っている。
もし電球が破裂してガラスが飛び散っていたら……と思うとゾッとした。
僕は思わず呟く。
「ああ、また宝くじの運、使っちゃったよ」
妻は、そんな言い方せんといてよ、とちょっと拗ねてみせる。
しかし、僕は思う。これが宝くじの運だとしたら、とてつもない大当たりじゃないか、と。三億円なんかより、ずっと価値のある大当たり。
運の抜けた十枚の紙切れは、それでも三百円の価値を持つ。宝くじの当選発表が終わったら、またアイスキャンデーでも買ってみるか。
2006.5.30
とりあえずはマンションのローンを返して、いまより部屋数の多い家に引っ越す。会社も辞めちゃえ。有り余る時間、意外と本気で小説でも書き、そのうち世に出ようか。派手な暮らしに興味はないし、家族四人、まあそこそこ幸せに暮らしていけるだろう。
なんて、人並みな夢想に浸っていたとき、アイスキャンデーの棒に「アタリ」の文字が。
——ああ、こんなところで運を使っちゃったよ。
ようするに、世界は二つ。アタリか。ハズレか。ちっちゃなアタリも当たりはあたり。運なんてそんなものだろう。
そして先日、宝くじを買った。当たりくじを選んで。とりあえずはマンションのローンを返して、と。
その夜、妻の枕元に置いてある電気スタンドの灯りが点かなくなった。
「接触悪いんかなあ」
妻が電球をぐりぐりといじる。その時、
——ボン!
爆発音が寝室にこだました。子どもがうーんと唸って丸くなる。
「大丈夫か!?」
驚いて妻に問いかける。
が、なにも起きていない。ただ電球の内側が真っ黒に煤けているだけだ。電球は破裂を免れた。
「ああ、びっくりしたあ」
妻と僕が声をそろえる。子どもたちはすやすやと眠っている。
もし電球が破裂してガラスが飛び散っていたら……と思うとゾッとした。
僕は思わず呟く。
「ああ、また宝くじの運、使っちゃったよ」
妻は、そんな言い方せんといてよ、とちょっと拗ねてみせる。
しかし、僕は思う。これが宝くじの運だとしたら、とてつもない大当たりじゃないか、と。三億円なんかより、ずっと価値のある大当たり。
運の抜けた十枚の紙切れは、それでも三百円の価値を持つ。宝くじの当選発表が終わったら、またアイスキャンデーでも買ってみるか。
2006.5.30
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