徒花狸2006年11月12日 01:59

 狸が花に恋をした。決して入ってはならぬと言われていた森の中、枯れ木に乱れ咲く淡色の花に。
 我ながら不思議なことだ、と思う。イヌ科のほ乳類である自分が、バラ科の落葉低木に恋をしてしまうなんて。
 狸は花と話したくて、その傍らで他の木に化けた。茶色の樹皮はなかなかの似せっぷりであったが、枝に咲いたのは優曇華の花であった。
 狸は花に語りかける。が、花はスンとも物言わぬ。
 これは意表を突かれた。途端に恥ずかしくなった。無視は口ほどに物を言う。挨拶(コミュニケーションの基本)からの拒絶は想定外であった。
 狸は焦った。パニックになった。なんとかせねば。
 やはりこのみすぼらしい姿がいけないのだ。狸はそう判断し、気を丹田に込めて四肢に力を回した。途端に真っ赤なバラが枝々に咲き渡った。赤面花とでも言おうか。
 それは見事なバラの木であった。狸は途端に自信を回復し、幾分ニヒルにさえなった。見た目が九割とはこのことだ。
 再び狸は話しかける。
「いい天気ですね、お嬢さん」
 鬱蒼と薄暗い森の中、九月に狂い咲く二種類の五弁花。しかし静寂を割く声はやはりない。
 狸はさらに咲き誇った。九割を十割に。赤、黄、白、そして最後に蒼の花を開いて。
 だが、愛しの花は凛と佇み押し黙ったままである。
 そして狸はようやく悟った。花と話ができるなんて端からおかしなハナシではないか。
 次の瞬間である。突然目の前に一匹の狐が現れ、狸の木に生った色とりどりのバラをあれよあれよと刈り取っていった。
 不意を突かれた狸は元の姿に戻る暇もなく、四肢も鼻面も尻尾もバラのまま手際よく切り取られ、頭と胴体だけの肉塊に変化して地面に転がった。
「首尾良し、豊作」
 稲荷色のイヌ科のほ乳類は背中に背負った籠に収穫物を放り込み、書き割りの桜をくるくると巻物に畳んでとっとと消えてしまった。
 かろうじて残された頭で狸は考え、鼻のない声でつぶやいた。
「木は常に騙す……」
 事切れた狸はやがて土に化け、実を結ぶことのない草花の養分となる。決して入ってはならぬと言われる森の中で。

(完)

釣瓶舟2006年11月16日 01:20

 古井戸に宝船が湧き出たという事件はすでに近隣の村に知れ渡り、人々はこぞって宝船見物に押しかけた。
 井戸の周りには人垣ができ、同心円状に膨張し、およそ一町離れた最後列の人も固唾を呑んで井戸の底を覗き込んでいる。
 その井戸は深さ約百二十尺。底にほど近い水面に、確かに宝船が浮かんでいる。乗っているのはもちろん七福神だ。
「なかきよの〜、とをのねふりのみなめさめ〜、なみのりふねの〜おとのよきかな〜」
 耳を澄ませば、そんなお囃子が幽かに聞こえてくる。宝船は大海を行く客船のように、ゆったりと凪いだ水上を漂っている。
 「釣り上げろっ」
 誰かが叫ぶ。
 最前列の童子が、恐る恐る釣瓶を降ろし始める。が、いつまでも水に辿り着かないことに業を煮やし、持っていた縄をわざと手放した。釣瓶は秋の日よりも速く落下していく。
「………………………………………………………………ょん」
 久遠の間を経て着水した釣瓶は、なんとか宝船の直撃を免れた。船は何事もなかったかのように航行を続けている。お囃子は相変わらず続いている。波紋が船を揺らしている。
 釣瓶は清水を満々と湛え、水底にゆらめいている。人々は宝船の運航がその真上を通るときを待ちかまえていた。
「おしっ、いまだ」
 まさに釣瓶の真上に宝船が通りかかったとき、最後列に近い男が叫んだ。
 最前列の人々は縄をたぐり、後ろの人へと渡し、一町後ろの人が縄の先を引っ張った。
 宝船はまんまと釣瓶の中に収まり、ずんずんと地上目がけて上昇してくる。井戸のぐるりを取り囲んでいた人々は残らずその綱引きに加わり、乾いた大地に一線の轍を描いた。
 そして。
 直径三尺の井戸から巨大な宝船が引き上げられた。七福神は動じることもなく彼の唄を詠じ、琵琶と三味の音を高らかに響かせた。
 人々の最前列から感嘆の波が背後へと流れ、大きな唸りとなって押し返された。光り輝く黄金の宝船を拝み、人々は一人残らず手を合わせた。
 その刹那、釣瓶は張力を失い、すわ、と井戸底に落下した。が、幸いにも宝船は井戸よりも大きかったため、井戸の上にどしんと鎮座ましました。
 線は再び円に戻り、皆が七福神が舞い唄う船を取り囲んだ。
 唖然と口を開けたままの人。
 固く眼を閉じて見つめる人。
 真言を唱え九字を切る人。
 お囃子に合わせ踊る人。
 用事を思い出して帰る人。
 しかし。
 満々と湛えられた宝物を奪うわけでもなく、弁財天をくどくわけでもなく、我もと船に乗り込むわけでもなく、この珍事を書写するわけでもなく————
 結局、人々は眼前の光景を見つめるしかなかった。見つめることをし続けるしかなかった。見つめることをし続ける人を見倣うしかなかった。
 どうしていいのか、誰もわからなかった。どう振る舞うのが正しいのか、誰も知らなかった。生ける七福神を積んだ宝船への対処法を、誰も教えてもらっていなかった。
 やがてその場に、なにやら恥ずかしげな空気が充満してきた。
「つるかめ、つるかめ」
 照れ隠しにそう唱え、人々は日常に帰っていった。
 日が落ちる頃には、誰もがいつもの暮らしに戻っていた。
 井戸上の饗宴は、果てるともなく続いている。
「長き世の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の良きかな」
 千年、万年の変化も、明けては暮れる一日の営みの如し。
 天変地異の大変化にも、人間はほどなく慣れ、昇降運動を繰り返していく。
 そろそろ釣瓶は、水面に辿り着いた頃。

(完)

※日本文学館・超短編小説大賞佳作

まや師の横笛2006年11月18日 14:42

「さあ、今日もこのわしに、世にも奇妙な話を聞かせてくれ」
 王様はそう言うと、金の木材と金の布と金の綿でできた深紅の椅子に深々と沈み込んだ。
——かしこまりました。
 男は膝を折り、優雅にお辞儀をすると、漆黒に彩られた嵐の窓外を振り返り、雨音より静かな声で話し始めた。
——それは、ある笛吹きの話でございます。

 その笛吹きは、退屈な船旅を慰める洋上の音楽家であった。当時、暇と金を持て余していた貴族たちの間で、広大な王国の領土を船で巡る小旅行が流行していた。贅沢な巨大帆船での旅は華やかなものであったが、波音に慣れた静かな夜には、賑やかな大陸の音楽がなによりの退屈しのぎとなった。船にはいつもバイオリン奏者とセロ弾き、そして横笛を奏でるこの男が乗り込んでいた。
 彼ら三人は、宮廷の絢爛な音楽をこともなく弾きこなした。とりわけ横笛の音は虹の如く色を変え、船上の人々を多彩な情景に遊ばせた。ときには不死鳥を呼ぶ声のように。あるいは世古を偲ぶ島唄の如く。
 笛吹きは海の上で名声を高め、その音はやがて国王の耳に届くこととなった。

「さあ、このわしにも、その魔法の横笛を聞かせてくれ」
 王宮に招かれた笛吹きは、王の前であることにも動じず、静かに笛を構えた。
 笛に穿たれた穴から、どこの国のものとも知れぬ旋律が流れ始める。
 永久の移民が唄い継ぐ故郷の伝説。栄枯の歴史を劇的に描き出す抑揚。笛の音は緩やかに激しさを増し、戦火の熱さえ感じさせる狂乱めいた音楽で王室を満たした。
 その魔的な音に魅せられていた王様の感嘆は、徐々に得体の知れぬ不安、そして畏怖へと変わっていった。ふと瞼を開いた王様は、不敵に微笑む笛吹きを眼前に見た。
 その刹那、笛の音がぴたりと止んだ。笛吹きは、雨音よりも静かな声で王様に問うた。
「王様、彼の世の楽に触れてみますか?」
 王様は心を支配された者のようにこくりと肯いた。笛吹は微笑んだままゆっくりと横笛に口づけし——
「————————————————————————————————————————————」
 笛から放たれた一閃の音。それは王様の鼓膜を破り、無音の音は頭の中に直接響き渡った。
 彼の世の楽。王様は恍惚の表情を浮かべ、ゆるりと椅子から立ち上がると、一人軽やかに踊り始めた。眼をしっかりと見開いたまま。
「ははは、これは愉快だ。なんて楽しい音楽じゃ」
 笛吹きの吹く無音の音は、遠い彼の地まで一直線に走った。その音は出征の合図となり、幾億の騎馬が鬨の声を上げ、蹄の音を嵐の世に轟かせた。しかし、王様の鼓膜のない耳には聞こえない。近づきつつある地鳴りも、城壁を上り来る劫火も、戦士が地に伏せる音も。

——これがその横笛でございます。
 ふいに男は懐から一本の古びた笛を取り出した。それは火に焼かれたように煤けてはいたが、木肌は黒々とした光沢を放っていた。
 王様はその美しさに目を奪われながらも、不吉な予感となにかしらの期待が入り混じった落ち着かない気持ちになっていた。鼓膜を貫き、この世のものではない魅惑的な音楽を奏でるというその笛。しかしそれは、いまや王敵の笛としての伝説を身に纏っている。もしそれが真実であるならば……
——では一曲、ご献上。
 男は王様の承諾も得ぬまま横笛を構えた。王様は思わず身を乗り出し制しようとしたが、すでに男は大きく息を吸い込み、まさにその笛に命を吹き込もうとしていた。そして——
「ぷすぅ〜〜〜………」
 笛からは空気と間の抜けた音だけが漏れ出た。
 男曰く。
——失礼。私、横笛と法螺だけは、このかた一度も吹いたことがございませんで……

(完)


【横笛】(ようじょう)
歴史的仮名遣いは「やうでう」とも。「横笛」の字音「おうてき」が「王敵」に通じるのを忌んで読みかえたものという。
よこぶえ。おうてき。
【まや師】
「まや」は、まやかしの意。詐欺やいかさまを常習とする者。ペテン師。

コンマの真理2006年11月22日 00:52

 かつて、世界はピリオドに支配されていた。それは「YesかNo」の時代、あるいは、「だ。である。」の時代、もしくは「白黒」の時代と言ってもよい。すべての物事に決着がつけられ、けじめと完全なる球形が美徳とされた。
 ピリオドの時代の人々は、たとえばこんな会話をしていたに違いない。
「朝だ.」
「飯だ.」
「虫だ.」
「食え.」
「まずい.」
「殺す.」
 そして、長い台詞は危険であったろう。
「キミの長い睫毛と潤んだ瞳と尖った鼻とイチゴに似た唇とその白い肌と柔らかな黒髪となによりも神様の悪ふざけとしか思えない胸のふくらみがボクの心をかき乱し夜を眠れぬものとし頭の中は妄想と迷走でぐるぐるとぐるぐるとぐるぐると……」
 意志は理路整然と率直な答えを出し、思考は決して先延ばしされることなく終止符を打った。
 しかし、そんな時代も栄枯盛衰、やがて斜陽が訪れ、人々は年老い、長い顎髭をたくわえるようになった。
 二秒で出していた答えが、三秒に、五秒に、そしてぼんやりと虚空を漂い、うやむやに雲散霧消することが目立ってきた。
「朝は,……あれだあれ」
「ん? 飯か? 飯は,……虫でいい?」
「虫はちょっと,,,,,,,」
「でも虫しか,,,,,」
「虫は味が,,,,,」
「ま,確かに,,,,」
 こうしてピリオドの時代にピリオドが打たれ、思考を反古し、答えを先送りするコンマの時代を迎えた。
 途中でいったん止まる、という習慣から、休憩が生まれ、休日が制定された。会議は途中で区切られ、そこから喫煙の習慣が生まれた。政治家は語尾を曖昧にすることを常套句とし、学者は難しい単語を大量のコンマでつなぐことで学者たる威厳を保った。
 ところが、コンマは先頃到来した資本主義と手を組み、人々の金銭感覚を模糊とさせた。一見ピリオドのように知覚されるコンマが等間隔に配置されることにより、人々は桁数にいったん終止符を打ち、また最初から数え直すことになった。
 コンマは時に髭を剃り落としたピリオドとして振る舞うことを覚え、プログラムの間に潜んではバグを引き起こした。
 おお、老獪なコンマよ。
 いまや人々は、0.5mmと0,5mmの区別さえつかず、——いや、区別をしようとはせず、髭があろうがなかろうが、人類皆兄弟であるという意識に至った。
 区切りは終わりではなく、終わりは区切りでしかない。
 それはそれで、前へと進める原動力となったのは、ある意味皮肉なことである。

(完)


【真理】
正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。
事態の真相。真。
思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)
命題(思想)相互間が無矛盾で整合性があること(整合説)
ある思想が有効な働きや結果を示すこと。
【コンマ】
comma
欧米など横書きの文の句点の一。数字の桁の区切りにも用いる。
カンマ。
数や量が微小であること。普通より劣っているもの。標準以下のもの。