深夜漂流2005年09月11日 11:29

 三本目の缶ビールが空いた。僕は小銭入れをジーパンのポケットに突っ込み、外に出た。日中の熱気が冷めてくるころ。時刻は午後十一時半を回っていた。
 祖師ヶ谷大蔵の駅に向かって歩く。都会に忍んだ竹林の横を過ぎる。大阪から上京して五ヶ月。街なかにぽっかりと自然が残っていることに最初は驚いた。東京のすべてが都会ではないこと、人情に厚い人が意外と多いことを知り、僕は東京が好きになった。
 駅は午前〇時を前に、いまだ煌々と明かりを灯していた。学生の集団や酔ったサラリーマンが構内へと吸い込まれる。朝夕は閉じっぱなしになる踏切を渡り、祖師谷商店街を北に進む。居酒屋、コンビニ、二四時間営業の飲食店。日中は下町風情の商店街だが、この時間になると街の色は薄れ、乾いた光が点々と続く狭い道に変化する。
 この道を進めば——。僕が向かっているのは、井の頭公園の近くにある彼女のマンションだった。道路地図帳で見た限り、二時間ほど北へ歩けば行き着くはずだった。なぜ彼女の家まで歩こうなどと思ったのか。それは自分でもよくわからなかった。
 彼女とは大学のサークルで知り合い、ほどなく付き合いはじめた。大学生になって初めての夏休みを彼女と過ごす。野暮ったい言い方ではあるが、それはまさに人生の春だった。郊外の進学校で女の子と付き合うこともなく生きてきた僕は、思いっきり舞い上がっていた。東京が僕をそうさせた。
 駅から二十分も歩くと、商店街は住宅街へと移りはじめた。人通りはほとんどない。自転車が僕を追い抜き、交差点を左に消えた。途端に静けさが満ちてくる。規則的な足音を響かせながら、ただ歩く。
「お友だちでいてくれる?」
 彼女は別れ話をそう締めくくった。お盆に里帰りしたとき、元の彼氏とよりを戻したらしい。電話の向こう、明るくさわやかな別れを演出しようとする彼女の声に、僕はいら立ち、怒り、憎しみをぶつけた。彼女は何度もごめんと言い、自分が悪いと謝り続けた。
 終電を見送った千歳烏山の駅に着き、僕は店の明かりに安堵した。光あふれる東京は孤独な人々が築いたのだろう。タバコを一服。そして気づく。自分の未熟さに。元の彼氏の話は嘘だろう。彼女は、僕の幼稚な愛し方から逃れたかったのだ。束縛、甘え、思い込み。その暗い世界に囚われることを嫌った。そして思う。だれかを愛しく想うことは、心にやさしい明かりを灯すことだ。僕は自分の明かりしか見ていなかった。大切なのは、相手の心に灯った明かりを見つめ、寄り添うことだったのだ。
 ふと憑き物が落ちた。夜が抜けた、と言うべきか。腕時計を見る。午前一時。甲州街道の先には、静謐とした夜が続いている。
 夜歩く。その失恋の症状に苦笑し、目の前の闇から踵を返した。もう一本、失恋の特効薬であるタバコに火をつけ、大きく煙を吐き出す。もう二度と、ここを歩くことはないだろう。僕は来た道をゆっくりと引き返しはじめた。


(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)

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