竹山真人 ― 2005年09月11日 11:26
竹山真人の隣になった。中学二年の三学期、最後の席替え。竹山真人か。そういえば一度もしゃべ
ったことないな。一年近くも同じ教室で過ごしているというのに。
竹山真人は目立たない少年だった。背は中くらい、勉強も中くらい、フツーの髪型に、フツーの銀縁メガネ。こんな説明ではぼんやりとしか想像できないくらい、印象の薄い男の子だった。
竹山真人には二人の友だちがいる。彼らはいわゆるアニメオタクである。休み時間になると教室の隅に集まり、ひそひそと楽しそうに話し込んでいる。その一角はサンクチュアリというか結界というか、だれも踏み込もうとしなかった。
竹山真人とは隣の席になってからも、別段親しく言葉を交わすことはなかった。毎朝ぼそっと挨拶をするくらいだ。竹山真人は決してわたしの顔を見ない。わたしの机にちらりと目をやり、か細い声で、おはよ、と言う。
竹山真人のことが気になりはじめたのは、席替えして二週間ほど経ってから。特別なきっかけがあったわけではない。ただその頃から、竹山真人の妙に伸びた背筋に目がとまるようになった。座っている姿勢が行儀よく、気持ちよかった。
竹山真人をちらちらと観察するようになって、二つのことを発見した。一つは、考えごとをしているときに小さく空中になにかを書く癖。もう一つは、意外とおもしろい冗談を言うことだった。そう、わたしは竹山真人と少しずつ言葉を交わすようになっていた。
竹山真人が好きだと言っていたアニメが深夜に再放送されていた。気がつくとわたしもそのアニメを観ていた。もちろんビデオに録画して。なぜか家族全員で観るようになり、兄がはまってしまった。
竹山真人が好きだと自覚したのは、「竹山って純子のこと好きなんじゃない?」と友だちに言われたときだった。その瞬間、わたしは「ばれた」と思ったのだ。いったいなにがばれたのか? それはわたし自身の恋心だった。
竹山真人と付き合うことはなかった。三学期はあまりにも短かすぎた。わたしたちは隣人以上の関係に進めないまま中学三年になり、別々のクラスに離れてしまった。
竹山真人とのほのかな関係は、思いもよらぬ出来事で幕を閉じた。転校。死別。そんなことではない。その出来事とは「竹山真人が人気者になった」ことだ。休み時間に覗いた教室で、女子に囲まれてしゃべっている竹山真人を目撃した瞬間、わたしは恋の終わりを知った。
失恋。その言葉は違うかもしれない。わたしだけの宝物を盗られたような。自分が特別な存在でなくなったような。突然目の前に鏡を差し出され、醜い自分を直視してしまったような。あ、いい言葉があった。それは失恋ではなく「失望」だったのだ。
竹山真人は中学卒業後、フツーの県立高校に進学した。風の噂では三年のときに子どもができ、高校を中退して働きだしたという。その話を聞いたとき、わたしはなぜか深く落ち込んだのだった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
ったことないな。一年近くも同じ教室で過ごしているというのに。
竹山真人は目立たない少年だった。背は中くらい、勉強も中くらい、フツーの髪型に、フツーの銀縁メガネ。こんな説明ではぼんやりとしか想像できないくらい、印象の薄い男の子だった。
竹山真人には二人の友だちがいる。彼らはいわゆるアニメオタクである。休み時間になると教室の隅に集まり、ひそひそと楽しそうに話し込んでいる。その一角はサンクチュアリというか結界というか、だれも踏み込もうとしなかった。
竹山真人とは隣の席になってからも、別段親しく言葉を交わすことはなかった。毎朝ぼそっと挨拶をするくらいだ。竹山真人は決してわたしの顔を見ない。わたしの机にちらりと目をやり、か細い声で、おはよ、と言う。
竹山真人のことが気になりはじめたのは、席替えして二週間ほど経ってから。特別なきっかけがあったわけではない。ただその頃から、竹山真人の妙に伸びた背筋に目がとまるようになった。座っている姿勢が行儀よく、気持ちよかった。
竹山真人をちらちらと観察するようになって、二つのことを発見した。一つは、考えごとをしているときに小さく空中になにかを書く癖。もう一つは、意外とおもしろい冗談を言うことだった。そう、わたしは竹山真人と少しずつ言葉を交わすようになっていた。
竹山真人が好きだと言っていたアニメが深夜に再放送されていた。気がつくとわたしもそのアニメを観ていた。もちろんビデオに録画して。なぜか家族全員で観るようになり、兄がはまってしまった。
竹山真人が好きだと自覚したのは、「竹山って純子のこと好きなんじゃない?」と友だちに言われたときだった。その瞬間、わたしは「ばれた」と思ったのだ。いったいなにがばれたのか? それはわたし自身の恋心だった。
竹山真人と付き合うことはなかった。三学期はあまりにも短かすぎた。わたしたちは隣人以上の関係に進めないまま中学三年になり、別々のクラスに離れてしまった。
竹山真人とのほのかな関係は、思いもよらぬ出来事で幕を閉じた。転校。死別。そんなことではない。その出来事とは「竹山真人が人気者になった」ことだ。休み時間に覗いた教室で、女子に囲まれてしゃべっている竹山真人を目撃した瞬間、わたしは恋の終わりを知った。
失恋。その言葉は違うかもしれない。わたしだけの宝物を盗られたような。自分が特別な存在でなくなったような。突然目の前に鏡を差し出され、醜い自分を直視してしまったような。あ、いい言葉があった。それは失恋ではなく「失望」だったのだ。
竹山真人は中学卒業後、フツーの県立高校に進学した。風の噂では三年のときに子どもができ、高校を中退して働きだしたという。その話を聞いたとき、わたしはなぜか深く落ち込んだのだった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
失恋セレモニー ― 2005年09月11日 11:28
彼氏が大学に落っこちた。おいおいどーすんのよキミ。で、慌てて受けた私立大学に滑り込みセーフ。でもその大学じゃあ、わたしたち離ればなれだよね。
予備校で知り合い、付き合うようになったわたしたち。でも予備校生同士って、どこか後ろめたい。よし、こうなったら二人同じ大学に行って、恋と青春を謳歌しよう! ……ところがだ。
最初は無理して会う時間をつくってたけど、大学って意外と忙しい。できるだけ電話するようにしてたけど、大学って思ったより刺激的だ。メールくらいは毎日欠かさずと思っていたけど、大学ってかなり楽しい。お互いがそんな状態で、わたしたちは次第にすれ違い、ぎくしゃくするようになった。
一度、ちゃんと話をしよう——そう切り出したのはわたしだ。やっぱり彼のことが好きだったし、話し合えばまたやり直せると信じていた。わたしはいまの状態とこれからのこと、わたしの想いを真剣にしたため、メールの送信ボタンを押した。数分後、メールの返事が来た。そこには一言、
「OK牧場」
しばらく放っておいたら、「別れよう」というメールが来た。すっかり興ざめしていたわたしだが、はっと気づいた。わたしはたったいまふられたのだ。これは失恋だ。しかも、は・じ・め・ての失恋。
わたしは思い出した。こうしてはいられない。このタイミングだ。失恋した女の子がいますべきこと。そう、“お風呂で泣く”を実行するときがやってきたのだ。
失恋したらお風呂で泣く——それは女の子の憧れ。汚辱にまみれた失恋という現実を、美しい思い出に昇華させるための儀式。浅い湯船に浸かり、ひざを抱え、BGMはもちろんドリカムだ。
季節は八月。いつもはシャワーで済ませてしまうところを、浴槽を丁寧に掃除し、ぬるめのお湯を張る。湯量の設定を間違えてちょっと多めに入っちゃったけど、ま、いっか。
いよいよそのときがやってきた。CDラジカセを浴室に持ち込み、再生ボタンを押す。セットしたのはベスト盤のディスク2。ストリングスが静かに空間を満たしていく。途端にメランコリックな気分に落ちていく。わたしは俯いたまま掛かり湯を済ませ、右足から湯船に入った。
「……お、っほぉ」
思わず声が出る。喉元まで浸かり、大きく深呼吸をする。久しぶりの湯船はチョー気持ちいい。足を伸ばし、目を閉じる。長湯になりそうだったので、浴室乾燥機を涼風運転しておいた。顔に触れる冷たい風が心地よい。ドリカムを軽く口ずさんでみる。ほのかなエコーがいい感じだ。ちょっと真剣に歌いこんでみる。あーカラオケ行きたいな。憂さ晴らしにはちょうどいいかも。あとで恵美子に電話してみよっと。「サンキュ」まで歌って、さすがにのぼせてきたのでお風呂から出た。なにか大きな忘れ物をしているような気がしたが、冷房の効いた部屋に入った途端、そのことも忘れた。
それ以来、わたしの失恋セレモニーはカラオケになった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
予備校で知り合い、付き合うようになったわたしたち。でも予備校生同士って、どこか後ろめたい。よし、こうなったら二人同じ大学に行って、恋と青春を謳歌しよう! ……ところがだ。
最初は無理して会う時間をつくってたけど、大学って意外と忙しい。できるだけ電話するようにしてたけど、大学って思ったより刺激的だ。メールくらいは毎日欠かさずと思っていたけど、大学ってかなり楽しい。お互いがそんな状態で、わたしたちは次第にすれ違い、ぎくしゃくするようになった。
一度、ちゃんと話をしよう——そう切り出したのはわたしだ。やっぱり彼のことが好きだったし、話し合えばまたやり直せると信じていた。わたしはいまの状態とこれからのこと、わたしの想いを真剣にしたため、メールの送信ボタンを押した。数分後、メールの返事が来た。そこには一言、
「OK牧場」
しばらく放っておいたら、「別れよう」というメールが来た。すっかり興ざめしていたわたしだが、はっと気づいた。わたしはたったいまふられたのだ。これは失恋だ。しかも、は・じ・め・ての失恋。
わたしは思い出した。こうしてはいられない。このタイミングだ。失恋した女の子がいますべきこと。そう、“お風呂で泣く”を実行するときがやってきたのだ。
失恋したらお風呂で泣く——それは女の子の憧れ。汚辱にまみれた失恋という現実を、美しい思い出に昇華させるための儀式。浅い湯船に浸かり、ひざを抱え、BGMはもちろんドリカムだ。
季節は八月。いつもはシャワーで済ませてしまうところを、浴槽を丁寧に掃除し、ぬるめのお湯を張る。湯量の設定を間違えてちょっと多めに入っちゃったけど、ま、いっか。
いよいよそのときがやってきた。CDラジカセを浴室に持ち込み、再生ボタンを押す。セットしたのはベスト盤のディスク2。ストリングスが静かに空間を満たしていく。途端にメランコリックな気分に落ちていく。わたしは俯いたまま掛かり湯を済ませ、右足から湯船に入った。
「……お、っほぉ」
思わず声が出る。喉元まで浸かり、大きく深呼吸をする。久しぶりの湯船はチョー気持ちいい。足を伸ばし、目を閉じる。長湯になりそうだったので、浴室乾燥機を涼風運転しておいた。顔に触れる冷たい風が心地よい。ドリカムを軽く口ずさんでみる。ほのかなエコーがいい感じだ。ちょっと真剣に歌いこんでみる。あーカラオケ行きたいな。憂さ晴らしにはちょうどいいかも。あとで恵美子に電話してみよっと。「サンキュ」まで歌って、さすがにのぼせてきたのでお風呂から出た。なにか大きな忘れ物をしているような気がしたが、冷房の効いた部屋に入った途端、そのことも忘れた。
それ以来、わたしの失恋セレモニーはカラオケになった。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
深夜漂流 ― 2005年09月11日 11:29
三本目の缶ビールが空いた。僕は小銭入れをジーパンのポケットに突っ込み、外に出た。日中の熱気が冷めてくるころ。時刻は午後十一時半を回っていた。
祖師ヶ谷大蔵の駅に向かって歩く。都会に忍んだ竹林の横を過ぎる。大阪から上京して五ヶ月。街なかにぽっかりと自然が残っていることに最初は驚いた。東京のすべてが都会ではないこと、人情に厚い人が意外と多いことを知り、僕は東京が好きになった。
駅は午前〇時を前に、いまだ煌々と明かりを灯していた。学生の集団や酔ったサラリーマンが構内へと吸い込まれる。朝夕は閉じっぱなしになる踏切を渡り、祖師谷商店街を北に進む。居酒屋、コンビニ、二四時間営業の飲食店。日中は下町風情の商店街だが、この時間になると街の色は薄れ、乾いた光が点々と続く狭い道に変化する。
この道を進めば——。僕が向かっているのは、井の頭公園の近くにある彼女のマンションだった。道路地図帳で見た限り、二時間ほど北へ歩けば行き着くはずだった。なぜ彼女の家まで歩こうなどと思ったのか。それは自分でもよくわからなかった。
彼女とは大学のサークルで知り合い、ほどなく付き合いはじめた。大学生になって初めての夏休みを彼女と過ごす。野暮ったい言い方ではあるが、それはまさに人生の春だった。郊外の進学校で女の子と付き合うこともなく生きてきた僕は、思いっきり舞い上がっていた。東京が僕をそうさせた。
駅から二十分も歩くと、商店街は住宅街へと移りはじめた。人通りはほとんどない。自転車が僕を追い抜き、交差点を左に消えた。途端に静けさが満ちてくる。規則的な足音を響かせながら、ただ歩く。
「お友だちでいてくれる?」
彼女は別れ話をそう締めくくった。お盆に里帰りしたとき、元の彼氏とよりを戻したらしい。電話の向こう、明るくさわやかな別れを演出しようとする彼女の声に、僕はいら立ち、怒り、憎しみをぶつけた。彼女は何度もごめんと言い、自分が悪いと謝り続けた。
終電を見送った千歳烏山の駅に着き、僕は店の明かりに安堵した。光あふれる東京は孤独な人々が築いたのだろう。タバコを一服。そして気づく。自分の未熟さに。元の彼氏の話は嘘だろう。彼女は、僕の幼稚な愛し方から逃れたかったのだ。束縛、甘え、思い込み。その暗い世界に囚われることを嫌った。そして思う。だれかを愛しく想うことは、心にやさしい明かりを灯すことだ。僕は自分の明かりしか見ていなかった。大切なのは、相手の心に灯った明かりを見つめ、寄り添うことだったのだ。
ふと憑き物が落ちた。夜が抜けた、と言うべきか。腕時計を見る。午前一時。甲州街道の先には、静謐とした夜が続いている。
夜歩く。その失恋の症状に苦笑し、目の前の闇から踵を返した。もう一本、失恋の特効薬であるタバコに火をつけ、大きく煙を吐き出す。もう二度と、ここを歩くことはないだろう。僕は来た道をゆっくりと引き返しはじめた。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
祖師ヶ谷大蔵の駅に向かって歩く。都会に忍んだ竹林の横を過ぎる。大阪から上京して五ヶ月。街なかにぽっかりと自然が残っていることに最初は驚いた。東京のすべてが都会ではないこと、人情に厚い人が意外と多いことを知り、僕は東京が好きになった。
駅は午前〇時を前に、いまだ煌々と明かりを灯していた。学生の集団や酔ったサラリーマンが構内へと吸い込まれる。朝夕は閉じっぱなしになる踏切を渡り、祖師谷商店街を北に進む。居酒屋、コンビニ、二四時間営業の飲食店。日中は下町風情の商店街だが、この時間になると街の色は薄れ、乾いた光が点々と続く狭い道に変化する。
この道を進めば——。僕が向かっているのは、井の頭公園の近くにある彼女のマンションだった。道路地図帳で見た限り、二時間ほど北へ歩けば行き着くはずだった。なぜ彼女の家まで歩こうなどと思ったのか。それは自分でもよくわからなかった。
彼女とは大学のサークルで知り合い、ほどなく付き合いはじめた。大学生になって初めての夏休みを彼女と過ごす。野暮ったい言い方ではあるが、それはまさに人生の春だった。郊外の進学校で女の子と付き合うこともなく生きてきた僕は、思いっきり舞い上がっていた。東京が僕をそうさせた。
駅から二十分も歩くと、商店街は住宅街へと移りはじめた。人通りはほとんどない。自転車が僕を追い抜き、交差点を左に消えた。途端に静けさが満ちてくる。規則的な足音を響かせながら、ただ歩く。
「お友だちでいてくれる?」
彼女は別れ話をそう締めくくった。お盆に里帰りしたとき、元の彼氏とよりを戻したらしい。電話の向こう、明るくさわやかな別れを演出しようとする彼女の声に、僕はいら立ち、怒り、憎しみをぶつけた。彼女は何度もごめんと言い、自分が悪いと謝り続けた。
終電を見送った千歳烏山の駅に着き、僕は店の明かりに安堵した。光あふれる東京は孤独な人々が築いたのだろう。タバコを一服。そして気づく。自分の未熟さに。元の彼氏の話は嘘だろう。彼女は、僕の幼稚な愛し方から逃れたかったのだ。束縛、甘え、思い込み。その暗い世界に囚われることを嫌った。そして思う。だれかを愛しく想うことは、心にやさしい明かりを灯すことだ。僕は自分の明かりしか見ていなかった。大切なのは、相手の心に灯った明かりを見つめ、寄り添うことだったのだ。
ふと憑き物が落ちた。夜が抜けた、と言うべきか。腕時計を見る。午前一時。甲州街道の先には、静謐とした夜が続いている。
夜歩く。その失恋の症状に苦笑し、目の前の闇から踵を返した。もう一本、失恋の特効薬であるタバコに火をつけ、大きく煙を吐き出す。もう二度と、ここを歩くことはないだろう。僕は来た道をゆっくりと引き返しはじめた。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
一度半の失恋 ― 2005年09月11日 11:30
その少女と出会った瞬間、少年は失恋し、同時に初めての恋に落ちた。
少女の隣には背の高い男が立っていた。日に焼けた顔に白い歯が浮いている。彼は少女のことを“カノジョ”と呼んだ。カノジョは胸元まで伸びた栗色の髪をいじりながら「あは」と笑った。その少し下品な笑顔に少年は真っ逆さまに落っこちた。
少年は知った。失恋の苦みを。少年は震えた。恋の痛みに。少年は読んだ。ゲーテを。ヘッセを。ツルゲーネフを。少年は書いた。嗚呼我が胸裏に去来するこの想ひは。少年は喩えた。まるで筋肉痛のやうだ。少年は祈った。カレの座に居座る友人の不幸を。少年は見た。放課後の校庭を。少年は走った。夕日夕日夕日に向かって。
ある日の夕暮れ時。学校帰りに立ち寄った商店街の書店で、少年はカノジョに遭遇した。カノジョは参考書のコーナーで高校入試集中ドリル理科を開き、真剣に眺めていた。少年はふいにその横顔に出くわし、絵を見る人のように立ちつくした。少年に気づいたカノジョは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたあの笑顔で少年を刺激した。書店を出て、商店街の出口まで少年とカノジョは歩いた。少年は友人の話を、カノジョはカレシの話をした。別れてから少年は落ち込んだ。そして少年は知った。失恋とはひと太刀の快刀ではなく、隙あらば飛び込んでくる竹刀の打撃なのだと。
やがて少年の祈りが天に通じた。友人がカノジョにふられたのである。失恋の傷は不思議な魔法で閉じられた。が、恋の痛みは猛烈な痒みに変わって少年を苦しめはじめた。少女との接点も告白の勇気も持たない少年は、募る痒みにただ悶々と耐えるしかなかった。少女を想うことは、蚊に刺されたふくらみに爪を押しつける感覚に似ていた。刹那の甘美の後、痒みは強く大きく広がるのだった。少年はそんな仕組みに気づかぬまま、あの時刻、あの書店に足を運び続けた。
そしてついに少年は少女と再会した。あの商店街の入り口で。少女の隣には背の高い男が立っていた。少女は男のことを“イマノカレシ”と呼び、あわてて“ジャナクテフツーノカレシ”と訂正した。再びの失敗をあの笑いでごまかすカノジョに、少年は性懲りもなく突き落とされるのだった。が、穴の底、強打した膝をさすりながら少年は感じていた。痒みよりも痛みのほうがまだマシだ、と。
少年は学んだ。恋と失恋が同一人物であることを。だから恋に落ちた瞬間から、人は失恋し続けているのだ。片思いという恋。両思いという失恋。すべては裏表であり、一体である。“無い”という言葉が“在る”という事実を浮き上がらせ、“在る”という安心は“無い”という不安をかきたてる。楽園パラダイス。高校ハイスクール。同じことの繰り返しは同じことの繰り返しだ。云々。少年はそんな内容のポエムを書いた。
タイトルは、一度半の失恋。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
少女の隣には背の高い男が立っていた。日に焼けた顔に白い歯が浮いている。彼は少女のことを“カノジョ”と呼んだ。カノジョは胸元まで伸びた栗色の髪をいじりながら「あは」と笑った。その少し下品な笑顔に少年は真っ逆さまに落っこちた。
少年は知った。失恋の苦みを。少年は震えた。恋の痛みに。少年は読んだ。ゲーテを。ヘッセを。ツルゲーネフを。少年は書いた。嗚呼我が胸裏に去来するこの想ひは。少年は喩えた。まるで筋肉痛のやうだ。少年は祈った。カレの座に居座る友人の不幸を。少年は見た。放課後の校庭を。少年は走った。夕日夕日夕日に向かって。
ある日の夕暮れ時。学校帰りに立ち寄った商店街の書店で、少年はカノジョに遭遇した。カノジョは参考書のコーナーで高校入試集中ドリル理科を開き、真剣に眺めていた。少年はふいにその横顔に出くわし、絵を見る人のように立ちつくした。少年に気づいたカノジョは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたあの笑顔で少年を刺激した。書店を出て、商店街の出口まで少年とカノジョは歩いた。少年は友人の話を、カノジョはカレシの話をした。別れてから少年は落ち込んだ。そして少年は知った。失恋とはひと太刀の快刀ではなく、隙あらば飛び込んでくる竹刀の打撃なのだと。
やがて少年の祈りが天に通じた。友人がカノジョにふられたのである。失恋の傷は不思議な魔法で閉じられた。が、恋の痛みは猛烈な痒みに変わって少年を苦しめはじめた。少女との接点も告白の勇気も持たない少年は、募る痒みにただ悶々と耐えるしかなかった。少女を想うことは、蚊に刺されたふくらみに爪を押しつける感覚に似ていた。刹那の甘美の後、痒みは強く大きく広がるのだった。少年はそんな仕組みに気づかぬまま、あの時刻、あの書店に足を運び続けた。
そしてついに少年は少女と再会した。あの商店街の入り口で。少女の隣には背の高い男が立っていた。少女は男のことを“イマノカレシ”と呼び、あわてて“ジャナクテフツーノカレシ”と訂正した。再びの失敗をあの笑いでごまかすカノジョに、少年は性懲りもなく突き落とされるのだった。が、穴の底、強打した膝をさすりながら少年は感じていた。痒みよりも痛みのほうがまだマシだ、と。
少年は学んだ。恋と失恋が同一人物であることを。だから恋に落ちた瞬間から、人は失恋し続けているのだ。片思いという恋。両思いという失恋。すべては裏表であり、一体である。“無い”という言葉が“在る”という事実を浮き上がらせ、“在る”という安心は“無い”という不安をかきたてる。楽園パラダイス。高校ハイスクール。同じことの繰り返しは同じことの繰り返しだ。云々。少年はそんな内容のポエムを書いた。
タイトルは、一度半の失恋。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
暮色 ― 2005年09月11日 11:31
老人は走馬燈を止め、照らし出された風景をのぞき込んだ。まず目に飛び込んできたのは、懐かしい武彦山の夕景であった。橙色に輝く山の上空に、昼と夜の境が一直線に伸びている。碧天と紫雲が成す不思議な帯を、少年たちはいつまでも見上げていた。そのなかに十歳の私がいる。だれかが一番星を叫んだ。少年たちは声を上げ、先を争って町へ続く小道を駆け出した。
老人の目は白い指先を見つめていた。両掌の間を細い糸が伸びては縮む。繰り返し。繰り返し。その柔らかな動きがふと止まった。どこか遠くを見る目。菊江は遠縁の親戚で、岡山から奉公に来ていた。昭和初期の大不況下、小さな材木問屋を営むこの家も暮らしは決して楽ではなかった。その屋根の下、菊江はひっそりと隠れるように生きていた。
文机に向かう少年の姿を見る。隣では菊江が薄く微笑んでいる。六つ年上の少女は、少年に勉強といくつかの岡山弁を教えた。時折ぽろりとこぼれる方言を少年が真似る。「いらまかしたらいけんよぉ」と少女は小さく笑った。壁の時計が日暮れの鐘を打つ。
朧な目に映る色鮮やかな情景。しかし老人は心の目を伏せる。足元には製材された角材が崩れ、重なっている。老人は瞼越しに見た。その下敷きに倒れている菊江の姿を。何本かの角材が土を打ち、きな臭い煙を上げている。その靄の奥、菊江は祈るような声でなにかをつぶやいている。
「大丈夫じゃ。大丈夫じゃ」
少女は繰り返しつぶやく。胸のなか、小さくなっている少年の耳元で。
出入りの建具職人と菊江の関係を少年が知ったのは、すでに祝言の日取りが決まった後のことだった。いつものように文机に並んでいたとき、少年は菊江にそのことを打ち明けられた。いつものように勉強を教わり、いつものように岡山弁をからかい、いつになく少年は菊江に噛みついた。「こじゃくそや、こじゃくそや」。少年はそう繰り返し叫び、縁側から表に飛び出した。そして、倉庫に立てかけてあった材木に体当たりしたのだった。
菊江は首から右肩にかけて二十針も縫う大怪我をしたが、幸い後は打撲程度で事なきを得た。少年は両の膝と肘を擦りむいただけだった。菊江はだれにも本当のことを言わなかった。そして傷が癒え、醜い轍となって肌に馴染んだ頃、菊江は隣町へと嫁いでいった。
「菊さん、かんにんな」
あのとき言えなかった言葉が老人の口から溢れた。その刹那、酸っぱい痛みが胸に満ち、張りつめていくのを老人は感じた。それは七十余年の時を経て現れた失恋の感情だった。老人はその痛みに目を凝らし、耳を澄ました。しばらく、そのままに。
また走馬燈は回り始めた。小さく笑う少女の顔が遠くへ去っていく。戦争。復興。我が妻。我が子。我が人生。泣き、笑い、懐かしみ、時折立ち止まりながら、老人はゆっくりと旅路を進んだ。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
老人の目は白い指先を見つめていた。両掌の間を細い糸が伸びては縮む。繰り返し。繰り返し。その柔らかな動きがふと止まった。どこか遠くを見る目。菊江は遠縁の親戚で、岡山から奉公に来ていた。昭和初期の大不況下、小さな材木問屋を営むこの家も暮らしは決して楽ではなかった。その屋根の下、菊江はひっそりと隠れるように生きていた。
文机に向かう少年の姿を見る。隣では菊江が薄く微笑んでいる。六つ年上の少女は、少年に勉強といくつかの岡山弁を教えた。時折ぽろりとこぼれる方言を少年が真似る。「いらまかしたらいけんよぉ」と少女は小さく笑った。壁の時計が日暮れの鐘を打つ。
朧な目に映る色鮮やかな情景。しかし老人は心の目を伏せる。足元には製材された角材が崩れ、重なっている。老人は瞼越しに見た。その下敷きに倒れている菊江の姿を。何本かの角材が土を打ち、きな臭い煙を上げている。その靄の奥、菊江は祈るような声でなにかをつぶやいている。
「大丈夫じゃ。大丈夫じゃ」
少女は繰り返しつぶやく。胸のなか、小さくなっている少年の耳元で。
出入りの建具職人と菊江の関係を少年が知ったのは、すでに祝言の日取りが決まった後のことだった。いつものように文机に並んでいたとき、少年は菊江にそのことを打ち明けられた。いつものように勉強を教わり、いつものように岡山弁をからかい、いつになく少年は菊江に噛みついた。「こじゃくそや、こじゃくそや」。少年はそう繰り返し叫び、縁側から表に飛び出した。そして、倉庫に立てかけてあった材木に体当たりしたのだった。
菊江は首から右肩にかけて二十針も縫う大怪我をしたが、幸い後は打撲程度で事なきを得た。少年は両の膝と肘を擦りむいただけだった。菊江はだれにも本当のことを言わなかった。そして傷が癒え、醜い轍となって肌に馴染んだ頃、菊江は隣町へと嫁いでいった。
「菊さん、かんにんな」
あのとき言えなかった言葉が老人の口から溢れた。その刹那、酸っぱい痛みが胸に満ち、張りつめていくのを老人は感じた。それは七十余年の時を経て現れた失恋の感情だった。老人はその痛みに目を凝らし、耳を澄ました。しばらく、そのままに。
また走馬燈は回り始めた。小さく笑う少女の顔が遠くへ去っていく。戦争。復興。我が妻。我が子。我が人生。泣き、笑い、懐かしみ、時折立ち止まりながら、老人はゆっくりと旅路を進んだ。
(第1回WEBダ・ヴィンチ読者参加企画「心にくいこむ短編小説」/ボツ)
宣伝会議賞の季節です。 ― 2005年09月15日 15:22
宣伝会議賞。今年も始まりましたね。
昨年は参加しなかったのですが、今年はプチ復活しようと思います。
小説書く合間にでも。
で、会社のブログに「宣伝会議賞【必賞マニュアル】」って記事を書きました。
トラックバックします。
てゆーか、トラックバックってのをしてみたくてこの記事書いてます(笑)
人生初のトラックバック。
実はトラックバックっていまいちわかってません、、、
とりあえず、やってみまーす。
昨年は参加しなかったのですが、今年はプチ復活しようと思います。
小説書く合間にでも。
で、会社のブログに「宣伝会議賞【必賞マニュアル】」って記事を書きました。
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てゆーか、トラックバックってのをしてみたくてこの記事書いてます(笑)
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実はトラックバックっていまいちわかってません、、、
とりあえず、やってみまーす。
ポプラ社小説大賞 ― 2005年09月15日 23:38
すごいですね。賞金。
大賞1編 賞金 2000万円
優秀賞2編 賞金 各500万円
※ 入賞作品はポプラ社より刊行
ですって。
締め切りが来年3月末日。
ダ・ヴィンチ文学賞の次はこれですね。
http://www.poplar.co.jp/taisho/
しかし文学賞、ブームですね。
おそらく毛色や毛並みの違った小説がどんどん登場してくることでしょう。
ブームを超えてなお生き残っていく小説、そして小説家の登場を楽しみにしています。
大賞1編 賞金 2000万円
優秀賞2編 賞金 各500万円
※ 入賞作品はポプラ社より刊行
ですって。
締め切りが来年3月末日。
ダ・ヴィンチ文学賞の次はこれですね。
http://www.poplar.co.jp/taisho/
しかし文学賞、ブームですね。
おそらく毛色や毛並みの違った小説がどんどん登場してくることでしょう。
ブームを超えてなお生き残っていく小説、そして小説家の登場を楽しみにしています。
ウイルス性の結膜炎 ― 2005年09月19日 15:00
ですわ。。。
金曜日の日中、会社で仕事をしているときに発症。
そのときは「あー疲れ目やー」くらいにしか考えていませんでした。
で、帰り際にはもう左目が真っ赤に充血し、腫れ始めて。
その夜には目がパンパン。でも病院には行かず。
土曜日は目がほとんどふさがり、それでもやはり病院には行かず。
なんせ疲れ目だと思ってましたから。
さすがに日曜日、「これは違う」ということに遅まきながら気づき、
夕方、大阪市中央急病診療所(こんな名前だったと思う)へ。
見るなりお医者さんに病名を告げられ、なぜすぐに病院に行かなかったのかとさんざん怒られ。
感染するんですよね、周りに。
フツーに生活してましたから、もしすかると子どもや嫁さんに移っちゃってるかも。。。。
もちろん嫁さんにも怒られました。
明日は会社休もうかなー。
会社でも怒られると嫌なので(^o^)/ (喜んでるやん)
と言いつつ、仕事あるんですよねぇ。
あー宝くじ。
※現在の「目」を写真に撮ってアップしようかと思いましたが、かなり気持ち悪いのでやめておきます。
金曜日の日中、会社で仕事をしているときに発症。
そのときは「あー疲れ目やー」くらいにしか考えていませんでした。
で、帰り際にはもう左目が真っ赤に充血し、腫れ始めて。
その夜には目がパンパン。でも病院には行かず。
土曜日は目がほとんどふさがり、それでもやはり病院には行かず。
なんせ疲れ目だと思ってましたから。
さすがに日曜日、「これは違う」ということに遅まきながら気づき、
夕方、大阪市中央急病診療所(こんな名前だったと思う)へ。
見るなりお医者さんに病名を告げられ、なぜすぐに病院に行かなかったのかとさんざん怒られ。
感染するんですよね、周りに。
フツーに生活してましたから、もしすかると子どもや嫁さんに移っちゃってるかも。。。。
もちろん嫁さんにも怒られました。
明日は会社休もうかなー。
会社でも怒られると嫌なので(^o^)/ (喜んでるやん)
と言いつつ、仕事あるんですよねぇ。
あー宝くじ。
※現在の「目」を写真に撮ってアップしようかと思いましたが、かなり気持ち悪いのでやめておきます。
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